吟味によって、この新聞記事のもとになっている「健康情報」は、ステップをクリアしているに過ぎないと結論できます。
つまりこの情報は、信頼性や重要性が、十分に検証されているとは言えないので、「興味深い話題」として控えめに受けとめておけば十分で、その情報にもとづいて、自分たちの生活を変える必要はないと考えればよいことになります。
かりに「食事によるがん予防」を望む場合でも、トムヤムクンを求めて食べるまでのことではない、ということになるでしょう。
医学研究のメディア報道を考える報道の適切さを評価するここまでは、健康情報の受け手である市民が、情報の信頼性や重要性を判断するための方法について述べてきました。
それでは、健康情報の送り手であるメディアには、何か求められるでしょうか。
それは、情報の信頼性や重要性を正確に伝えるために、6段階のフローチャートのどのステップまでをクリアしているのかを、受け手である市民が判断できるような伝え方をすべきである、ということにほかなりません。
前節で引用した2つの新聞記事を、こうした「報道の適切さ」という観点から、もう一度見てみましょう。
最初の、「緑茶と胃がん」に関する新聞記事はどうでしょうか。
「ステップ1」から「ステップ4」までは、クリアしているかどうかを一読して判断できます。
「ステップ5」の研究デザインと、「ステップ6」の複数の研究で支持されているかという点については、直接的な言及はありませんが、多少の推論を加えることで判断できます。
つまりこの記事は、報道の対象になっている研究なり情報なりが、6段階のフローチャートのどのステップまでをクリアしているのかを、読者が判断できるように書かれています。
わずか500字程度という短い記事の中に、それだけの情報がまとめられているのですから、優れた報道と評価できるでしょう。
2番目の、「トムヤムクンとがん」に関する記事はどうでしょうか。
すでに述べたように、この研究が学会発表なのか論文報告なのか(ステップ3)、論文報告だとすればどのような専門誌に掲載されたのか(ステップ4)、記事を読んでも判断できません。
また、実験動物や培養細胞レベルの研究紹介を読めば、同じテーマのヒトでの研究がどの程度行われていて、その結果がどの程度一致しているのかが当然気になるところですが(ステップ6)、その点についての言及もありません。
つまりこの記事を読んで、「トムヤムクンとがん」という目新しいテーマで動物実験が行われたことを知ることはできても、その研究の科学的な位置づけや、結果が人間にもあてはまるか否かという点は判断できません。
にもかかわらず、動物実験で「突き止めた」という断定的な表現や、「がん予防、ラット実験で確認」という見出しにつけられた感嘆符は、あたかもこの研究が「決定的な証明」であり、その結果が人間にもあてはまるかのような、誤った印象を与えてしまうでしょう。
けっきょくこの記事は、6段階のフローチャートのどのステップまでをクリアしているのかを読者が判断できないという点で不十分なだけではなく、研究の意義を極端に過大評価している(そのような印象を読者に与える)点で、大いに問題のある報道と言わざるを得ません。
ただしここでは、記事で取り上げられている研究じたいが、「信頼の置けない、いい加減なデータ」であると批判しているわけではありません。
研究そのものは、無論きちんと行われたものでしょう。
批判の主眼は、「研究」ではなく「報道」に対するものであることを、お断りしておきます。
ちなみに、2つの新聞記事は、それぞれ一件の研究について報道するものでした。
複数の研究をひとつのトピックにまとめて報道する場合にも、同じ原則があてはまります。
報道の受け手である市民が、フローチャートのどの段階までをクリアしている情報なのか、判断できるように伝えることが求められるでしょう。
健康情報は本当にはんらんしているか新聞やテレビが伝える健康情報のうち、私の目にとまった最近の報道10件を取り上げて、フローチャートのどこまでをクリアしているか調べてみました。
すると、意外な結果が明らかになりました。
「ステップ1」については、大半の報道が「具体的な研究」(学会発表や論文)を引用またはところが、「ステップ2」をクリアする「ヒトでの研究」は、半数程度に過ぎませんでした。
それ以外は、ラットを使った実験が多く、中には「サルモネラ菌」での実験を報道したものもありました(ビールの新聞記事)。
「ステップ3」の「論文報告」もごく一部で、学会発表を伝える報道や、論文なのか学会発表なのか分からない(つまり情報源を特定できない)報道が多く見られました。
「ステップ5」の「無作為割付臨床試験やコホート研究」はほとんどなく、「ステップ6」の「複数の研究で支持されているか」どうかも、説明されていない場合が大半でした。
つまり、メディアが伝える健康情報の多くは、動物実験に過ぎない話や、学会発表どまりの話でした。
より重要な、ヒトでの研究、論文報告、信頼性の高い方法の研究は少数でした。
要するに、「科学的根拠が薄弱で、話半分に聞いておけばいい内容」が多く、「真剣な考慮に値するような、科学的な信頼性の高い内容」は少なかったわけです。
わずか10件の報道の分析ですが、およその現状は反映しているでしょう。
「健康ブームの世相を反映して、健康情報がはんらんしている」などと言われます。
流通量についてだけ見れば、確かに大量の情報が出回っています。
けれども、その質に注意して見ると、信頼性や重要性が高い情報は、意外なほど少ないのです。
つまり、「はんらん」しているのは、じつは信頼性の低い健康情報であって、信頼性の高い情報は、宝捜しでもするつもりで取り組まないと見つからないと言っても、オーバーではありません。
こうした現状の背景には、健康情報を作成し報道するメディアの一部に、次のような問題点があるのではないかと、私は考えています。
研究の科学的な価値を判断する上で、「動物実験か、人間集団での研究か」「学会発表か、論文報告か」「どのような専門誌に掲載されたか」「どのような研究デザインを使っているか」「複数の研究で支持されているか」を区別することが重要だと説明してきました。
けれども、医学研究を報道する側か、こうした区別の重要性を十分理解していないこともあるようです。
情報源が学会発表なのか論文報告なのかを明記しない記事や、人間集団での研究状況について言及せずに動物実験の結果だけを報道する記事、ひとつの研究だけで「決定的な証明」がなされたかのような論調の報道を見ると、科学研究のプロセスに対する理解の不十分さを疑う場合があります。
「重要な情報」ではなく、「記事にしやすい情報」を優先する。
人間集団を対象とする重要な研究の多くは、25ページの表2に挙げたような、定評ある医学専門誌に掲載されます。
これらの研究の内容を報道するためには、まず担当者自身が英語の論文を読まなければなりません。
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